利守酒造が紡いだ岡山の酒米「雄町」|
希少なお米で醸した人気の日本酒・赤磐雄町がムードマークに登場!
幻の酒米「雄町」
<利守酒造の初代からあるお酒「酒一筋」と今回ムードマークで発売する「赤磐雄町」>
雄町で造った日本酒は、ふわっと広がる厚みと幅、そしてしっかりとした酸味が特徴です。酒米のなかでも日本酒ツウに人気のある雄町ですが、かつては幻の酒米ともいわれていました。
その始まりは、遠い昔、大山詣りの帰りに、参拝者が道端に生えていた2本の稲を持ち帰ったことだといわれています。そしてその参拝者の出身地だった「雄町」が命名の由来となりました。
しかし戦後近代化していく時代の流れで、収穫の効率の悪さから雄町を作る農家が減っていき、次第に幻の酒米となっていったのです。
雄町復活まで
<利守酒造の歴史を感じる木桶や甕>
そんな幻の雄町を復活へと導いたのが、利守酒造の4代目蔵主の利守 忠義さん。利守酒造が蔵を構える旧・軽部村は水捌けの良い土壌で、岡山県のなかでも一級品の雄町が獲れると歴史的にもいわれてきました。
それならばと雄町復活の道を歩み始めたのが昭和40年代。「その土地の米と水と気候を醸してこそ地酒」を理念に掲げ、最高の雄町造りが始まりました。
最初に協力をしてくれたのはなんと地元の神主さん。お供え用のお米として造り続けていた雄町ですが、この頃からは、酒造りの為の雄町が軽部の水田に存在感を示し始めます。
とはいえ稲の背が高い雄町は、田んぼ一反から収穫出来る量が少なく、また天候によっては倒れてしまったりすることもある為、作り手の農家さんを説得することがとても高い壁でした。
それでも雄町と向き合い続けた結果、軽部の田んぼで育った一番良い雄町がついに復活。復活当時は軽部村から赤磐群へと名を変えていたので、仕上げた日本酒は「赤磐雄町」となりました。
ちょうど第一次の地酒ブームもぶつかり、赤磐雄町が全国に広がると同時に雄町の名が多くの人に知られるようになりました。
<利守酒造 / 岡山県>赤磐雄町 純米大吟醸
鼻に抜けるさっぱりとした香りと、まっすぐな飲み口。後味には純米ならではの酸味が残り、食べ物の味を洗い流すような食中酒にぴったりの1本です。瀬戸内のお酒なので、魚とはもちろん、脂のある料理とペアリングしても◎
部屋の温度より少し下げたくらいに冷やすときりっとしまった味わいが楽しめます。また寒い日には熱燗もおすすめ。お酒の温度が上がれば香りも立ち、旨みや酸味が増します。
口当たりはスッキリなのに、しっかりと旨みがある。食事と一緒に味わって欲しい、雄町で醸した日本酒ならではの魅力です。
酒造りは米造りから
規則正しく並んだ水田に、ひときわ濃い色をした一画があります。ここの濃い色をした田んぼこそが利守酒造が持つ雄町の田んぼです。田植えを始めてから約30年間、毎年10月に収穫祭を行います。
<利守酒造5代目蔵元の利守 弘充さん>
背が高い雄町は、栄養分を求めて根が下に伸び、そこでしっかり根を張ることで倒れずにいられるのですが、過剰に肥料を与えてしまうと根を生やさなくなり直ぐに倒れてしまうんだとか。
その為、利守酒造の米造りでは化学肥料を使用しない有機栽培にこだわります。倒れない根をつくることで、多少の台風にも耐えられる強い稲となるのです。
また稲の間隔を空けることでそれぞれにしっかりと養分が行き渡り、風通しも良くなることから虫などによる被害を防ぎます。
たくさん造ろうとはぜずに、上質な雄町のみを育てていく姿に酒造ならではのこだわりを感じます。
実はお酒用のお米の生産量が多い岡山県。一般的には寒い地域の方がお米のイメージが強くなりがちですが、食べるお米とお酒用のお米はまた別物。
復活した後も全く品種改良されていない雄町は、この土地で古くから愛されてきたお酒の味わいを、今日も全国に広めているのです。
世界の雄町へ
今回お邪魔した利守酒造のオフィスには、数えきれないほどのたくさんの賞状が飾られていました。県内や全国の品評会はもちろん、中には海外のコンテストで獲得した賞も。
旨みがあるからこそ海外の料理とも合わせやすく、実際にヨーロッパのレストランでも提供されています。
ワイナリーがブドウを育てるように、米造りから行う利守酒造のお酒づくり。今後は、雄町の全量自社栽培、即ちシャトー化計画が目標のひとつだといいます。
「酒造りは米造りから、地元の素材で醸してこそ地酒。そうして岡山県のお酒がもっと評価されれば、米農家も今より頑張りもっと良いお酒になる」
岡山県には、雄町の未来だけではなく、日本酒の未来まで切り拓く酒造がありました。