クリスチャン ルブタンは、1963年パリで生まれました。彼は母、3人姉妹、家政婦のいる家で育ち、小さい時は友達の家でも多くの時間を過ごしました。女性が多い環境や充実した子供時代が、後のクリスチャン ルブタンの作品のインスピレーションとなっています。
美術館での出会い
子供の頃に訪れたアフリカンアートの美術館で、クリスチャンは女性のハイヒールが赤字でクロスされている看板を目にします。1950年代当時、美術館の床を傷つけないために標識として置かれていたのです。1970年代に流行っていたフラットや分厚いヒール靴とは違って、対照的で繊細なヒールの姿に衝撃を受けたのです。その絵は一瞬にして彼を魅了し、頭から離れることはありませんでした。
青春時代には多くの青年がしたように、ドレスアップして劇場に足しげく通い、パーティー三昧の毎日を送りました。クリスチャンは、エキゾチックで感性に訴えかけるショーガールの虜になり、初めての仕事としてフォリー・ベルジェール(=パリのナイトシーンを代表する伝説的なミュージックホール)で見習いに就きました。コーヒーを作ったり、ダンサーにコスチュームを着せたり、取れかけのボタンをつけたりと、さまざまな仕事に従事しました。
18歳のとき、クリスチャン・ディオールのファッションディレクターを勤めていたヘレン・モルマトールが、彼をシャルル・ジョルダンのインターン生として迎えました。この経験が後のモードフリゾン、シャネル、イブ・サンローランといった一流ブランドとのフリーランス(自由契約)の機会を与えたとされています。

クリスチャン ルブタン ブランドの始まり
物語の始まりは、ひと塗りの赤いネイルカラー。
クリスチャン・ルブタンがビジネスをスタートさせた頃、彼はウォーホルとポップアートがテーマのシューズ、“Pensee(パンセ)” の制作中でした。彼は、満足のいく完璧な靴のデッサンを描きましたが、仕上がった試作品を見て落胆したのです。はじめのデッサンに限りなく近いにも関わらず、何かが足りない。試作品を見つめていたクリスチャンは、ふと隣のデスクでアシスタントが赤いネイルを塗る姿が目に入りました。とっさにそのマニキュアを手に取り、靴のソールにひと塗り。
ET VOILA ! The signature red sole was born.
ヴォワラ!こうしてブランドのシンボル、レッドソールが誕生しました。

THE RED SOLE WAS BORN FROM RED NAIL POLISH.
- I AM GIVING BACK TO NAILS WHAT THE SHOE TOOK FROM THE NAILS MANY YEARS AGO.
レッドソールは赤いマニキュアから生まれた。
かつてレッドソールがマニキュアから受けた恩恵をネイルに返す時が来た。
レッドソールの誕生から約20年、その伝説がネイルへと受け継がれました。 クリスチャン・ルブタンは、長年のキャリアを通じて、女性らしさとエレガンスは靴の延長線上にあるとことに気付き、そのブランドの精神が人々に受け入れられていたので、美の世界へと一歩踏み出すことはクリスチャンにとって自然な流れでした。

クリスチャンのさらなる目標は“究極の赤”をつくり出すこと。
あらゆる肌色に映える時空を超えた色、“ルージュ ルブタン”です。
AFTER THE EYES, LIPS REPRESENT THE MOST EXPRESSIVE ELEMENT OF THE FACE.
AND THERE'S THE FETISH APPEAL BECAUSE LIPSTICK CAN TRANSFORM A FACE FROM INTENSE, TO NAÏVE OR EVEN DANGEROUS.
顔の中で目元の次に表情をつくるのが唇。
口紅を塗るだけで、張りつめた表情をナイーブに、または、危険な香りが漂う表情に変えて、フェティッシュな魅力となる。
長年、クリスチャン・ルブタンは、口元にフォーカスした何かを創りだしたいと夢みてきました。
女性が唇を彩ると、顔の他の部分はたちまち印象が薄くなるかのよう。無意識に唇を意識し、話し方や表情が変わる。赤いリップは多くを語る。
だからこそ、口紅を塗ることは、洗練された女性の象徴となるのだ。
ネイルカラーを製作する際にもそうでしたが、彼は単なるメイクアップの道具としてのリップスティックではなく、芸術品を創ることを求め、ジュエリーのように女性が身に着けられるようにしたいと考えました。